「大人の人見知りは甘えだ」なんて論調がどうやらあるようです。
私を含め、人見知り人間からすればなんとなく肩身が狭くなるような感じですね。
そこで、本当に人見知りは甘えなのか、自分のこれまでの経験をふまえつつじっくり考えてみました。
人見知り≠甘えだと思う
人見知りしてしまうこと自体は、個性というか性格のひとつだと私は思っています。
育った環境もありますが、生まれ持ってのものであることが多いのではないかと。
アウトドアな人もいればインドアな人もいるように、人懐っこい人もいれば人見知りの人もいるのです。
そもそも人見知りになる原因は?
単なる性格の特徴でしかないはずなのに、人見知りが甘えと言われるのはなぜなのでしょうか。
ここでまず、人見知りになる原因について考えてみます。
ただの生まれ持った性質
人見知りは、人間の本能であり防御反応の一つと言われています。
その証拠に、幼少期には人見知りがあるのが当たり前とされていて、逆に全く人見知りしない場合にはちょっと心配されることも。
つまり、人見知りだからといってそれをコンプレックスに抱く必要もないのでは?と個人的には思います。
過去の嫌な体験やコンプレックスが原因である可能性
幼少期の人間関係が激しくこじれて痛い目にあったり、いじめにあったりしたことから、人と距離を詰めるのが苦手になってしまったというケースももちろんあるでしょう。
これが克服できていないからといって甘えと言い切ってしまうのは、かなり酷ではないでしょうか。
人見知りを他人にアピールすることが甘え
大人社会において、人見知りであることを言い訳にするのはNGです。
客が「私は神様だぞ」と言っているようなものであって、決して自分から言うことではありません。
基本的には、人から指摘されたり、心の中で思われたりするだけです。
大人なら、臨機応変に人と付き合っていかなければいけません。ときには、話したくない人とも話さなければいけない場面も絶対にあります。
それなのに「私人見知りなんで」と言い訳して自ら防御線を張ってしまうのは、大人として未熟だと言わざるを得ないでしょう。
人見知りを公表するタイミングは相手次第
時と場合によっては、相手に自分が人見知りであることを公表するときもあります。
たとえばこんなケース。
相手:もしかして人見知りですか?
自分:そうなんですよ。
余談ですが、私はこういうことを平気で聞いてくる人が苦手です。人見知りよりもこういうタイプのほうがよっぽど害があると思うのですが…というのはまた別の話で。
これくらいに抑えておくのがベストかなと思います。聞かれたから答えただけであって、嘘もついていません。
結論:人見知りを免罪符のように使うのは甘え
人見知りな性格であることは決して甘えではありません。
しかし「私、人見知りだから…」と言って最低限のコミュニケーションもとろうとしなかったり、面倒なことから逃げようとしたりするのは甘えと言わざるを得ないと思います。
いつも人前でハキハキ話しているあの人も、コミュ力が高そうに見えるあの人も、実は根っこは人見知りかもしれません。
大人たるもの、他人に余計な気を遣わせないよう、そつなく人間関係を築くスキルを身に付けなければならないのです。…と、いつも自分自身に言い聞かせています。